自分の世界は自分で創造している

マハリシは「自分の世界は自分で創造している」と述べていますが、それを生理学の観点から表現すると「自分の世界は自分の脳によって創造されている」ともいえます。そのことを理解していただくために、客観性というものについて少し考察してみたいと思います。

現代科学では、客観的に証明されたものだけが真実であるとしています。しかし、これまで客観的であるとされていた現象を注意深く再検討してみると、完全な客観性はありえないということがわかってきました。客観性といわれているものは、実は大多数の人が共有している主観的な経験に過ぎません。客観性とは私たちの集合的な意識の現れに過ぎないのです。

例えば、私たちは、バラの色や形は誰が見ても同じ、客観的な現実であると思っています。

しかし、実際には、私たちが体験しているバラの色や形、香りというものは、私たちの感覚器官を通して生み出される現実です。

花から反射される光は、網膜の特定の細胞を刺激し、その情報が、視床を中継して、大脳皮質へと送られて、脳のなかに花の映像が映し出されます。

このように、私たちが見ている花の色や形というものは、感覚器官を通して脳に映し出される映像です。

さて、私たち人間の知覚の能力には限界があります。紫外線が見えないとか、超音波は聞こえないとか、一定範囲の臭いしか嗅ぎ取れないといったようにです。私たちが受け取っている刺激は、実際に存在する刺激の、わずか10億分の1にしかすぎないともいわれます。

そして、動物の感覚器官は、種によって全く異なるということも、一般によく知られています。例えば、人間と蜂の目を比較してみましょう。蜂の目の細胞は電磁波のスペクトルの内、黄色と青と紫外線に最も敏感です。それに対し、人間の目の細胞は、赤と緑と青の波長に最も敏感です。蜂の目は、赤を見ることができません。人間の目は紫外線を見ることができません。ですから、蜂と人間が同じ花を見たとしても、その花は同じようには見えないわけです。

では、何色が花の本当の色なのでしょうか。花の色は、何が花を見るかで違ってきます。花の色は花そのものがどのような構造をもっているかで決まるというよりも、むしろ花を見る、その動物の感覚器官がどのようであるかによって決まってくるということです。さらに興味深いことですが、種が同じであっても、対象の受け止め方は、かなり個体差があるということも分かっています。

例えば、子猫を使った実験がこれを証明しています。水平の線ばかりを描いた部屋の中で育てられた子猫は、垂直の方向のものは見分けることができなくなり、テーブルの脚のような垂直方向のものにはぶつかってしまいます。

反対に、垂直の線ばかりを描いた部屋の中で育てられた子猫は、水平方向のものを見分けることができなくなり、水平方向のものにぶつかってしまいます。では、なぜそのようなことが起こってしまうのでしょうか。

子猫が水平の線を見るとき、網膜の特定の細胞が刺激されます。

そして、その情報が、視床を中継して、脳へと送られて、水平の線の映像が脳のなかに映し出されます。

目と脳を結ぶ神経回路は、成長期に経験した刺激に応じて形成されます。

発育期に受けた刺激がどのようであったかによって神経回路の配線が決まり、何を感じ取ることができるかが決まります。つまり、成長期に水平の線を経験していた子猫は、水平の線を認識する神経回路が形成され、それを認識できるようになりますが、もし経験していなければ、そのための神経回路が形成されないため、水平の線を認識することができなくなるということです。

周りの世界がどのように見えるかは、子供の頃の経験によって変わってきます。成長期に経験しなかった現象や考え方に関しては、それを感じ取ったり理解するための神経回路が形成されません。ですからそれを認識することができなくなるのです。

もう一つ例をあげると、生まれたての子猿の片目を、数カ月間閉じたままにさせると、その目は視覚を取り戻せず、一生盲目になります。

なぜかと言うと、ニューロン間の接続を正しく形成するためには、特定の種類の情報を脳に与える必要があるからです。ですから目に光を当てなければ、目は光を見ることができなくなるのです。このように、私たちは、未経験のものに対しては、全くの盲目同然であるといえます。そして、自分が知覚したり、理解することができない現象や概念については、そのようなものは存在しないとさえ考えます。

つまり、子供の頃から、直観のレベル、内なる存在の深い感覚、生命の全体的価値といった、現実の異なる面に目を閉じれば、偏った、狭い視野しかもてなくなるということです。

大多数の人は同じ文化のなかで、同じような環境からの刺激を受けて育ちます。そのために同じような神経回路をもち、自分の周りの世界を同じように見たり、感じたりしています。私たちの主観的な経験は互いに似たようなものです。そうした共通の主観的経験が、客観的な現実とされているのです。

このように、私たちが客観的であると思っていることの多くは、実は共通の文化によって形成された共通の認識に過ぎません。そして、このような共通の認識の仕方は、私たちの集合的な意識の現れともいえます。

では、ここまでのポイントを要約してみましょう。

1)私たちが見る世界は、私たちの感覚器官を通して生み出される現実です。
2)私たちの脳の神経回路がどのようであるかによって、 何を感じ取ることができるかが決まります。
3)そして、私たちの神経回路の配線は、発育期に受けた刺激によって作られます。
4)成長期に経験しなかった現象や考え方に関しては、それを感じ取ったり理解するための神経回路が形成されていません。ですから、そのようなものは認識できなくなります。

しかし、脳の素晴らしい点は、非常に柔軟であるということです。脳の中にすでに形成されている結合をいったん解いて、再形成することができます。そして、超越瞑想は、脳の神経細胞の結合を正しいものに再形成する最も効果的な方法です。

脳に関する研究から、ある特定の感覚刺激に対しては、脳の特定の部分が反応することが分かっていますが、超越瞑想の実践中には、脳のより広い範囲が活性化することが以下の研究によって示されています。

図の左側では、瞑想前に手の甲に特定の刺激を与えたところ脳の特定の部分が反応していますが、図の右側では、瞑想中に同じ場所に同じ刺激を与えたところ、脳のより広い範囲が反応していることを示しています。

つまり、特定の刺激だけでは脳の特定の部分しか活性化されませんが、超越瞑想を行っているときには神経細胞同士が適切に連絡を取り合って、これまで機能していなかった脳の部分が機能するようになるということです。

これまで、脳の神経回路の接続によって、何を感じ取ることができるかが決まると解説してきました。脳の神経回路は、成長期に受けた刺激によって形成されるわけですが、超越瞑想の実践によって、そうした脳の神経回路を繋ぎ直すことが可能です。その結果として、知覚能力や様々な行動能力が高まっていき、より広い観点から世界をとらえるようになり、物事の真の本質を見抜いたり、形をもたないより抽象的な価値を認識できるようになっていきます。超越瞑想によって、知覚能力が高まることで、今私たちが見ている世界はより美しく、豊かなものになっていきます。

Comments are closed.